昨日、記事に埋め込むためにプロサラリーマンのツイート探してたら、金融日記の人のリツイートがされていてとても良かったのでそのことについて記事を書きます。
だいたい貧乏というのは最高の教師(Poverty is the best teacher)であるにもかかわらず、自分に生命保険とかかけてるお父さん方は、本当にアホなんかな。せめて、自分が死んだ後ぐらいは、奥さんと子供に人並みに貧乏な暮らしをしてもらいたい、とは思わんのかな。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) September 17, 2019
お母さん生命保険やめたいのよ。
貧乏は最高の教育。完全にアグリー(同意)です。
10才の時に、父親の借金、女を理由に、母1人子2人猫1匹の母子家庭に
親はアテならんと心の底から思った
貧乏は経済的に上手くいかなかったということです。
ずっと貧乏ではなく落差を伴った貧乏ですから子供でもわかります。
親に振り回されない年齢になるのをじっと待ってました。
なんとか現状打破できないか子供なりに考えていた
子供ながらに親に頼らず生きて行く術は無いのか考えてました。
バイトは年齢的に無理だけど、マンガ描けたら今すぐにでもお金になるんじゃないかのかと考えドラクエの絵の練習をしたりとかしてました。
あと、主婦雑誌を盗み読みしてお金について研究してました。確か、「銀行預金よりはMMFかMRF」「あっちこっちのガソリンスタンド使うより系列店でポイント貯めましょう」とか書いてました。
住んでいる地域変わったら成績良くなった
お金があった頃は住んでいた場所もそれなりの学力が高くて有名なエリアにすんでましたから、成績は下の上くらいでイマイチでした。
そして引っ越して、社会なんかイチから覚えなおしなのにクラスで2番になっちゃってました。
不思議と勉強について自信がつきました。
残酷な地域差ですが、貧乏がくれたプレゼントです。
ムダは多いが自分で決めて行動していた
進学、就職については親の意見(文句)はほぼ聞かず自分で決めました。
私立に行く位なら大検取ると、高校は公立単願でした。
日本史が好きだからと言う理由で國學院大学で、
就活も、まずは行儀見習いだと思って研修風景が軍隊のようだったメガネ屋でした。
親の意見を聞いたのは「大学いけ」と「宅建取れ」位です。
メガネ屋に勤めながら宅建とって不動産会社に転職、その後今の建物管理会社に転職しました。
ちなみに、メガネ屋の仕事は楽しかったです。
まとめ
職場も家族も程よくアテにしていません。
生活防衛・逃走資金として貯金グセがつきました。
もう1つ2つわらじがほしいとおもって今、色々試してます。
自分の人生、人のせいにしたことありません。
貧乏は望んだって得られるかどうかわからない素晴らしい教育機会に賛成です。
なので父ちゃん、私の生命保険、解約していいか?
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